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2011年 04月 03日
横須賀 Ⅴ
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▼横須賀の名物となっている横須賀海軍カレー!私今度こそも初体験!!とは思いましたが、
又も違うカレーを食べちゃいました。何でも横須賀海軍カレーにも決まり事がある様で、
牛乳が付くのだとか。それで白い牛乳が嫌いな私は勘弁してもらっちゃいました。 ^^;
今回行ったお店は横須賀海軍カレー本舗!京急・横須賀中央駅から徒歩五分も掛からない場所ですが、
横須賀のお土産を探すにも最適と思います。一枚目の写真、横須賀でお馴染みの人々もキャラに。
今やアイドル的なスカレーくんは貯金箱になっており、これを私も記念に一個買って来ちゃいました。・・・
今回食べたカレーは焼きカレーだったかなぁ~?名前を忘れましたが美味しかったです。
そしてもう一つの新しい名物、ヨコスカ ネービーバーガーも絶対に食べようと思っていたのですが、
なんせカレーを食べた後で満腹だった為、又の楽しみにしちゃいました。
横須賀海軍カレーヨコスカ ネイビーバーガーを紹介したサイトもありますので、是非ご覧になってみて
下さいね。・・・長らくご覧頂きました横浜・横須賀シリーズですが、今回で終了とさせて頂きます。
ご覧下さった皆様、本当にありがとうございました。次回からは東京EASTシリーズをUPの予定ですが、
どうぞ次回シリーズも宜しくお願い致します。  <(_ _)>

▼明後日からちょっと旅に出ます。もしこの記事にコメントを下さった方いらっしゃいましたら、
恐縮にもレスが少々遅れますが、帰宅後に必ずさせて頂きますので、どうかお許し下さいね。・・・
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by macky5-fs | 2011-04-03 09:01 | 雑景
2011年 03月 31日
横須賀 Ⅳ
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▼横須賀で有名な通りと言えば、どぶ板通りですよね。正式には「本町商店会」と言うそうですが、
明治期ここに大日本帝国海軍の鎮守府が置かれた事から現在まで栄えて来たそうです。
日本の敗戦後は米軍基地が置かれた事で、米兵向けに土産物店やバーなどの飲食店等が建ち並び、
あのスカジャン発祥の地としても有名ですね。百恵ちゃんの大ヒット曲、横須賀ストーリーが聞こえて来そうな
イメージもありますが、昔は米兵の喧嘩沙汰も多生し、治安の悪い場所だった様です。
最近は昔に比べて静かな感じがしますが、初めて横須賀に来た頃には近づきがたいエリアでしたね。・・・
そうそう、何故ここがどぶ板通りなんて名称かと言うと、戦前この通り中央にはドブ川が流れていたとか。
しかし通行の邪魔になる事からドブ川に鉄板の蓋をした事で、以後どぶ板通りになったそうです。
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by macky5-fs | 2011-03-31 10:54 | 雑景
2011年 03月 28日
横須賀 Ⅲ
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▼横須賀に行ったならば、絶対にこの旗艦・三笠を見ずには帰れませんよね。
今もたまに「日本海大海戦」の映画を見る事が度々ありますが、この三笠は日本の誇りと思います。
戦争を肯定する訳ではありませんが、もし日露戦争で日本がロシアに勝利していなければ、
極東の地図は今とはまったく違ったものになっていたかも知れません。・・・
三笠は今までにも数度訪ねていますが、ここを訪ねる度に明治期の日本人の力強さを感じます。


明治38年(1905年)5月27日午後2時5分の日本海海戦は、『皇国ノ興廃コノ一戦にアリ、
各員一層奮励努力セヨ』の言葉と共に日本人ならば誰でも知っている出来事ですよね。
連合艦隊司令長官・東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊を撃滅した丁字戦法も、
トーゴー・ターンと呼ばれ、この偉業が世界的にも知られる海戦となったのも周知の事です。
この出来事は歴史的に日本を欧米列強に認知させる事となった一戦であると言えるのでしょう。
その海戦の勝利のシンボルである旗艦三笠は、現在横須賀に記念艦として保存され、
今も往時を偲ばせてくれます。この記念艦を私が初めて訪ねたのは二十年以上も前の事でしたが、
その時は日曜日であった為、映画やビデオなどの上映もされており、日露戦争の経緯や海戦の状況
などを再度確認する事が出来ました。ロシアの南下政策に対し強い脅威を感じていた日本は、
国運を賭けて明治37年、(1904年)ついにロシアに宣戦を布告します。
日本の陸軍は初戦に於いてロシア軍を破り、中国東北部へと戦線を進めますが、しかしロシアも
反撃に出て、日本が大陸へと兵隊や物資を運ぶ為の補給路を攻撃して来たのです。
当時ロシアは旅順やウラジオストクに戦艦七隻を含む強力な艦隊を配備しており、日本の輸送船が
僅か3ヶ月で13隻も沈められる事態となったのです。その為、日本は制海権を掌握して補給路を
守る事が必要不可欠となったのです。しかしこの時、日本の連合艦隊を震え上がらせる情報が
伝えられたのです。それはロシアがヨーロッパのバルト海に配備していた強力なバルチック艦隊を
援軍として日本海に送るとの情報でした。この艦隊は戦艦8隻を含む30隻という大艦隊で、
当時はその戦艦だけの数を比較しても、日本の連合艦隊の6隻に対してロシア旅順艦隊は7隻。
その上バルチック艦隊の数が加わればロシアの戦艦は15隻と比較にならない脅威となったのです。
だからこそ、バルチック艦隊が日本海に到着するまでにロシアの旅順艦隊を撃つ事が日本の急務と
なりました。その初戦が黄海海戦です。しかしこの時、無念にも日本連合艦隊はロシア旅順艦隊を
撃ち逃がしてしまい、その為に陸軍が旅順を陸から攻撃する事となったのです。
陸軍は半年の時間を掛け激戦の末にやっと旅順を陸上から占領し、ロシア旅順艦隊を撃滅します。
しかしこの時の日本軍は6万人もの死傷者を出すと言う、あまりに多くの犠牲を出す結果でした。
この5ヵ月後、ウラジオストク目指して迫り来るバルチック艦隊を迎え撃つ東郷平八郎は、
対馬海峡と津軽海峡のどちらで敵を迎え撃つのかプレッシャーの掛かる中、決断せざるを得ない
状況に追い込まれて行ったのです。結果的にもし後一日バルチック艦隊の出現が遅れていれば、
日本の連合艦隊は津軽に向けて移動する手筈だった為、勝敗の行方は違っていたかもしれません。
しかし5月27日午前4時45分、幸運にも警戒中の仮想巡洋艦・信濃丸がバルチック艦隊を発見。
『敵艦隊見ユ』との無電報告により、朝鮮半島の鎮海湾に集結していた日本の連合艦隊は全艦出撃。
日露戦争の勝敗を決する海戦に勝利したのです。しかしこの勝利はポーツマス条約に於いて賠償金が
取れ無かった事から解る通りの惨勝であり、昭和54年に発見された幻の文書と言われている極秘
『明治三十七八年海戦史』の中で、この勝利は『奇跡』であったと東郷平八郎は書き残しています。

▼過去写真ですが艦内も少し・・・ ←クリック!
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by macky5-fs | 2011-03-28 09:45 | 風景
2011年 03月 21日
横須賀 Ⅱ
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▼JR横須賀駅前から京急汐入駅前に続く海沿いには、綺麗に整備された公園が広がっています。
この公園からは海上自衛隊の護衛艦や米軍艦船の停泊する様子を眺める事が出来ますが、
この地が昔から軍港として発展して来た都市である事が良く理解出来ると思います。
横須賀港に隣接するこの公園はヴェルニー公園と呼ばれており、公園の中央辺りまで歩いて行くと
海に向かって人物二人の胸像が現れます。日本人像は徳川の幕臣であった小栗忠順であり、
外国人像はフランス海軍の技術者であったフランソワ・レオンス・ヴェルニーです。
この二人の偉業はかつて小漁村にすぎなかった横須賀を現在までに発展させる基を築いた事はもちろん、
日本の近代化にも大きな役割を果たしたと言えるでしょう。・・・
日米和親条約を結び開国した徳川幕府は、世界の情勢を判断する事により、日本の急務は海軍力と
海運力の整備を為す事が重要と判断したのです。当時フランスから幕府への軍事的援助に伴い、
幕府勘定奉行であった小栗忠順はフランス公使レオン・ロッシュらと横須賀を視察し、
港湾としての地形に適している横須賀に製鉄所を建設する事を決めたのでした。
しかし幕府内部では反対意見も強く、これを小栗が説き伏せ実現へと向かう事になります。
話が少し逸れますが、小栗は万延一年(1860年)日米修好通商条約交換の遣米使節団一員として渡米
しています。不公平であった為替レートの交渉においては米国に一歩も引かず、改正に成功するという
大役も果しており、一部の米国紙面で彼は絶賛されたそうです。この時あの勝海舟も護衛艦の艦長とし
て渡米した事が有名ですが、しかし彼の実態はお供の一人にすぎなかったそうです。
小栗は時代を先取りした計画を次々に打ち出す優れた才能と人格を備えた人物でしたが、
幕府が倒れた後の明治元年(1868年)、残念にも薩長軍により斬首されてこの世を去ってしまいます。
さてもう一人の立役者であるヴェルニーは当時フランス海軍より中国の寧波に派遣されており、
技術者として造船に従事していました。しかしフランス公使ロッシュの推挙により徳川幕府に招聘され、
横須賀製鉄所の建設と運営の為、慶応元年(1865年)に日本へとやって来ました。
この横須賀製鉄所は製鉄所と言っても実際は造船所であり、ドライドッグ(船を入れて水を抜き、
船のメンテナンス等をする施設)などの港湾施設が順次造られて行ったのです。
そして海軍の拡張に伴い横須賀造船所と改称され、明治9年には横須賀鎮守府が置かれます。
明治36年には横須賀海軍工廠となり、日本帝国海軍の大本拠地となって行ったのでした。
ヴェルニーは明治新政府になてからも横須賀製鉄所長として活躍し、明治9年に帰国するまでの
12年間に渡り、日本の近代化に尽力した人物なのです。上部写真のスチームハンマーはヴェルニーが
製鉄所建設の際、船の部品制作の為にオランダから購入した物だそうです。現在JR横須賀駅前に完成
したヴェルニー記念館にはこのハンマーが保存され、館内は無料で公開されており自由に見学出来ます。
写真三枚目は米軍基地で、四枚目が海上自衛隊の基地になります。
写真五枚目は小栗忠順とヴェルニーの胸像で、六枚目がヴェルニー記念館です。
最後の三枚はヴェルニー記念館内部とスチームハンマーですが、超ビッグなハンマーに圧倒されました。

▼ちょっと数日間旅に出ます。大変恐縮ですが、もしコメントを頂戴しましたら、そのお返事は帰宅後必ず
させて頂きますので宜しくお願い致します。・・・ <(_ _)>
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by macky5-fs | 2011-03-21 00:00 | 風景
2011年 03月 18日
横須賀 Ⅰ
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▼横浜中華街を後にして、今回の旅の最後目的地であった横須賀へと向かいました。
横須賀もかつて仕事で毎週訪ねていた所だけに懐かしがいっぱい。横須賀へはほとんど京急線を利用
していたのですが、今回はJR横須賀線を利用した為、駅ホームからは自衛隊の護衛艦がすぐ横に見える
終点JR横須賀駅で下車しました。この駅舎、ちょっとレトロな雰囲気が好きなんですよね。
三枚目写真の様にホーム屋根の感じや、ペンキの塗られた鉄骨の柱にも時間の経過が感じられます。
改札を出て駅舎正面に進むと、今や横須賀のアイドルとなったスカレー君がカレーを持って出迎えてくれます。
横須賀海軍カレー!全国的に有名になりましたよね。又最近ではネイビーバーガーも知名度がUP中!
若干威圧感はありますが、自衛隊の護衛艦や米軍艦船を見ながら、横須賀B級グルメを楽しむなんて旅も
結構イケてると思います。次回は横須賀の歴史についてもちょっとお話したいと思っております。・・・
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by macky5-fs | 2011-03-18 08:59 | 建物
2011年 03月 09日
横浜中華街 Ⅴ
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▼キンキラキンの中華街画像も今回で最後となりますが、やっぱり〆は何てったって、
横浜中華街をずっと、ずっと、護っている、あの三国志の英雄・関羽の祀られている関帝廟にしました。
三国志大好きの私は以前の記事でも神戸・関帝廟の事をUPさせて頂いてますが、
どちらの廟も見事で素晴らしいです。そしてこれらの廟を見る度に華僑パワーの凄さを感じますね。
関羽の廟ってこれ以外にも日本各地に沢山あるんですよ。北は凾館の中華会館、京都の万福寺、
長崎の宗福寺と聖福寺など一応全て参拝しました。その中でも横浜中華街の廟は一番豪華で
最大の廟なんです。・・・ところで関羽についてですが、彼は青龍偃月刀の名手であり、
天下無双の勇者で『儀』に生きた文武兼備の武人でした。義に厚い事は商売の信用に通ずるとの事や、
算術にも優れていたと言う事から、華僑の人々からは商売の神として今も厚く信仰されているのです。
唐の建中三年(782)太公望呂尚を祀った武成王廟に従祭された事が、彼が神として祀られた最初の事
だったそうですが、後に各地の寺院の伽藍神(寺院を守護する神)としても祀られて行った様です。
だから京都や長崎の中国寺院においても廟が存在していた訳であり、その事にも納得出来ました。・・・
『忠臣はニ君に事えず』との言葉の通り、関羽は終始一貫、義兄の劉備に忠節を尽くします。
忠節を守り義を貫いた関羽はまさに武人の鑑であり、彼のファンは時代を超えてずっと何時までも
増え続けて行く事と思います。女性にもファンの多い三国志!是非皆さんに読んで頂きたいと思います。
次はやっと横須賀へ・・・。最後の写真は横浜中華街最寄のJR石川町駅です。
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by macky5-fs | 2011-03-09 10:37 | 建物
2011年 03月 06日
横浜中華街 Ⅳ
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▼久し振りの中華街でしたが、お店の外観が変わった所も多く、この街も一刻毎に変化している様でした。
食品サンプル大好きの私は、これを見て歩くだけでも本当に楽しい気分になれました。
写真六枚目は思い出のあるお店なのですが、このお店の外観は何十年も前と同じで嬉しくなりました。
当時二人で入って前菜、スープから始まっていろいろ注文したものの、食べ切れなかった思い出が・・・。
やっぱり少人数ならば、アラカルトよりもコース料理の方が手頃なのかも知れませんね。
いろんなお店の看板もチャイナチックで楽しい中華街!また春になったらと思っています。・・・
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by macky5-fs | 2011-03-06 13:08 | 雑景
2011年 02月 26日
横浜中華街 Ⅲ
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▼中華街には興味をそそられる被写体が沢山存在し、とても楽しくなってしまいます。
路地の看板はもちろん、食品サンプルが一杯並ぶケースの中を覗いて見るのも飽きません。
刀削麺の看板イラストも面白いし、どこの中華街でも良く目にする男の子と女の子ペア人形も愉快!
思わず時間を忘れて夢中になっちゃいます。今回、あるお店の焼きそばがお目当てだったのですが、
まだ開店前で残念にも断念。横須賀に向かう時間も迫って来ており、これが心残りでありました。
豚饅を一個だけ買って歩きながらモグモグ!蒸かしたての大きな饅頭は何時もながら美味しかったです。
ところで写真二枚目に写ってるいる国旗は最近TVで良く見る中国国旗の五星紅旗とは違うでしょう。
こちらは台湾の国旗である青天白日満地紅旗なんですよね。つまり華僑の人々の世界も大陸系と台湾系に
分かれているそうで、中華民国と中華人民共和国の違いを感じさせられました。・・・
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by macky5-fs | 2011-02-26 14:44 | 雑景
2011年 02月 23日
横浜中華街 Ⅱ
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▼かれこれ五年ほど前だったと思いますが、この媽祖廟が開廟された頃に一度来た事がありました。
当時はまだ写真一枚目の見事な門が完成しておらず、白いシートに覆われたいたのですが、
やはりこの門が完成した事で媽祖廟全体の雰囲気が大きく変わったものだなぁ~と感じました。
ところで媽祖とは、中国の宋代に実際存在していた女性が神となったのだそうで、
十六歳の時に神からの教えと銅製の札を授かって神通力を得て、変化の術に通じる様になったとか。
札の力をもって邪を払い悪をしりぞけ、災いを消し去り人々の病を治し、世のために力を尽くしたそうです。
むしろに乗って海を渡ったり、雲に乗って島を巡回し、神通力を示した事から通玄の霊女と呼ばれ様に。・・・
媽祖信仰は華僑達によって世界各地へと伝わり、今も華僑の住む多くの地域で廟に祀られています。
中国最後の王朝であった清の名君・康熙帝は、媽祖を天后に封じられた事から、良く香港などで目にする
天后廟・天妃宮・天后宮
には、この媽祖神が祀られている訳なんですね。・・・
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by macky5-fs | 2011-02-23 12:21 | 建物
2011年 02月 21日
横浜中華街 Ⅰ
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▼ホテルニューグランド西側の道路をちょっと南に下って行くと、もうそこは異空間のチャイナタウン。
世界各地にあるチャイナタウンの中でも一番大きいという横浜中華街ですが、確かに以前訪ねたロンドンの
チャイナタウン
と比べても、規模も雰囲気も改めて違うなぁ~って感じました。
一時期、仕事で華僑の方々ともいろいろと接点があった為、毎週この街に来ていた時期もあったのですが、
やはり当時と比べるとかなり変わって来ているんですよね。まぁ~お店のリニューアルは当然としても、
姿を消してしまったお店や、やたら中華饅頭を売るお店が多くなったなぁ~って感じました。・・・
写真二~三枚目のお店は昔からのお店ですが、中国・天壇公園の祈念殿がデザインされた看板がずっと
今も変わらなくて懐かしくなっちゃいました。・・・先ずはメインストリートでは無く路地をあちこちブラブラ。
五枚目写真の懐かしい匂いのする自転車屋さんも健在で、思わずシャッターを切っちゃいました。
そうそう私ね、横浜中華街発信の公式メルマガをずっとまぐまぐから受信しているのですが、
この街での催事はもちろん、いろんなお店のお得な割引メニューなんかも掲載されていて楽しいです・・・。
何時行っても大人気で混雑している中華街ですが、暫くチャイナチック画像にお付き合い下さいませ。 ^^;
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by macky5-fs | 2011-02-21 14:13 | 風景